6月2日

早いもので今年度も既に2ヶ月過ぎてしまいました。

先日の体操参観、A組参観など子どもたちの様子はいかがだったでしょうか?

「毎日見ていると成長したかどうか、余りわからないんですけど・・・。」というお母様の声もたまに聞きますが、月ごとに来て下さる、絵画や音楽の講師の先生方は「子どもたち成長しましたね~。」と、活動中の成長エピソードを色々と報告して下さいます。

また、わたしたち職員も、日々、子どもたちの成長を感じているところです。

今日は特に「ことば」についてお話しします。

入園前は「ことば」が少なった子どもたちが、日増しに「ことば」が増えてどんどん自分から話しかけてくれるようになりました。

また、お話をゆっくり聞いてみると、本人なりに色々考えていることがわかります。

いずれにしてもお話が出来るということは、自己表現が出来るという事でもあり、「ことば」の交流が出来るということは、コミュニケーションが出来るという事ですね。

これは、人間だけが持つ特別な能力です。

逆に、思っていることが言語化出来ない、「ことば」にならないことは、子どもにとっては、とても苦しいことです。

例えば、以前あるお母様から聞いたお話しですが・・・朝起きて登園前のお仕度が中々進まない。お母さんが「〇〇ちゃんもう幼稚園に行くよ。」「〇〇ちゃん早くして!」「ほら、今余計なことしないで」「〇〇ちゃんいつになったらするの!」と連呼していると、余計に子どもは支度しない。おまけに履いた靴下まで脱ぐ・・・。自分が叱られると下の子を叩いて、泣かせてしまう。などなど。

「ことば」が出るようになれば「ママうるさい」「ママもう言わないで!」と反論できるでしょうが、到底「ことば」では大人には(かな)いませんから行動で反発するしかありませんね。

では、子どもたちはいったいどのようにして「ことば」を習得するのでしょうか。

「ことば」は既に、胎児の時からお腹の中で、お母さんの声、お父さんの声など無意識に吸収しているのです。

そして、生まれてからは、生活の中に飛び交う「ことば」を吸収していきます。視覚を通して相手の口の動き、表情を吸収し、感情まで識別出来るようになります。また聴覚によって、その音声や、抑揚、高低を聞き分け、誰の声かも聞き分けられます。

特に人の肉声に反応します。子どもにとっての母国語は、文字通り母の言葉なのです。(テレビなどの機械音は一方的で会話になりませんから、長時間見ることによって返って言語の成長に害を及ぼすだけでなく、人格形成にも受動的という弊害をもたらします。)

子どもは生活環境の中から(園では先生や、お友だちが声を掛けてくれたり等)どんどん「ことば」を吸収して、吸収した「ことば」が、コップの水が溢れ出すように自然と表現されていくのです。

また、お家でゆっくりお話を聞いてもらえるお子様は幸せです。「へえーそうなの。」「そう、よかったね。」「それは悔しかったね。」など、ただ相槌を打つだけで子どもは安心し、お母さんやお父さんに受け入れられていることを感じます。

それが自己肯定感です。

小さいからと言って何も考えていない訳ではなく、子どもたちは、とっても豊かに感じているのです。ただ、それを表現するほど豊かな言語を、まだ身に付けていないだけなのです。

排泄についても、自分から「トイレに行ってくる!」とか「おしっこでる!」など、おしっこが出そうになる感覚が、脳へしっかり伝達されて、「ことば」になり、自分からトイレに行くという能動的な行動が出来るようになりました。

他にも、怪我をして「お薬つけて下さい。」コップを忘れて「コップ貸して下さい。」など、どうして欲しいのか、Cさんでもしっかり伝えられるようになってきました。時々引率のお姉さんやお兄さん(Aさんや、Bさん)もやってきて、小さい声で「コップ貸して下さいって言うんよ。」とか「お薬つけて下さいって言ったら付けてくれるよ。」とCさんに教えてくれています。代わりに言うのではなく、Cさんが自分で言えるようにお手伝いしているところが素晴らしいですね。

毎日忙しくないといえば嘘になりますが、日々の子どもたちとの何気ない関わりの中にたくさんの恵みを感じます。一瞬、一瞬はその時だけで、二度と同じ瞬間はあり得ないのですから・・・その時、その人との出会いは大切な宝物です。